鑑賞初心者が歌舞伎について語ってみる
はじめに
歌舞伎といえば役者さんのお名前の方が先にでるかたもいらっしゃるかもしれない。
例えば2019年の大河ドラマで主役の一人である金栗四三を演じた中村勘九郎氏などはすぐに顔を思い浮かべられる人も多いと思われるが、一方で歌舞伎座や南座、国立劇場などのそれなりに高価なチケットを購入する必要があること、独特の言い回しで衣装も基本的に和服、古典の題材が多いイメージなどからやや敷居が高いイメージを持たれがちだと思うし、実際に筆者も去年のある時期まではそう思っていた。
筆者の歌舞伎との出会い
きっかけはとある映画館で舞台 天守物語の映画が上映されたことである。
かねてより天守物語はぜひ舞台で観たいと思っていたところに折よく泉鏡花記念館のTwitterアカウントが告知をしてくださり、大人2000円少々という敷居の低さもあり試しに足を運んでみたところ、これが大変良かった。
天守物語は登場人物の半ば以上が人外で構成されるファンタジー寄りの物語だが、人が姿から声から実際に演じているものにもかかわらず、節回し、動き、登場人物の仕草などもあいまって現実感は非常に薄く、歌舞伎は存外フィクションの表現にとても向いているのだということがわかった。
男性の役者さんが女性役を演じるということは、歌舞伎(や一部伝統芸能)の特徴として挙げられることが多い。役者の性別と役柄が概ね一致している現代のエンタメを見慣れている人にとっては少々特殊に感じられるかもしれない。しかし、歌舞伎に限らず、演劇は要は何らかの役を人間が演じているのであって、人外の役を人間が演じること、時代の隔たりが大きい役柄を現代日本を生きる役者さんが演じること、などと並べて考えると、とりわけて大きな声で注意喚起されるべき点でもないのだ、とうっすら感じるようになった。
つまり舞台の上では全てが虚構である。観客は役者陣の作り出す虚構をひたすら楽しむことができる。舞台の上で繰り広げられる壮麗な虚構の世界を前にすれば、役者の性別など些細な問題である。
歌舞伎は要約すると2.5次元
・旺盛なサービス精神、役者×キャラクターで無限通りに推せる
歌舞伎の演目においてその大半は、舞台が現代ではない。
タイトルに有名な武将の名前などが出ていると、一見歴史物かと思うものもあるが、ここで往年の大河ドラマのような歴史に正確な内容を思い浮かべるのは的外れである。 実際には
「この人が演じるこれが観たい(又は観せたい)」
「こうだったら美味しいという設定を盛ってみた(必ずしもハッピーエンドを意味する訳ではない)」
という声が聞こえてきそうなくらいに、サービス精神旺盛に、ときにはアレンジを加えられた演目が多いように見受けられる。
先日まで国立劇場がYouTubeで公開していた義経千本桜(二段目、三段目、四段目)を例に取ろう。
トップページの画像を見ればわかるとおり、見どころ的な役者は全て同一人物が演じることになっている。
(三役完演というそうで、同様の配役は、直近では2010年に市川海老蔵が演じている )
具体的にどういうことかと言えば、「油ののった役者が」「見どころの役を」「全部やる」ということ。悪役(?)、正義の味方(?)、人外、とストーリーのなかで存在感の非常に大きい役柄を、全て同じ役者が演じるのである。
加えて、ミュージカルのダブルキャストとは異なるが、場面ごとに配役が変わり二段でAを演じていた役者aは三段ではBを演じ、三段でAを演じているのは役者b…みたいなことがどうやら普通らしく(少なくとも義経千本桜ではそうなっている)、一日の観劇で複数の役を演じる推し役者に会える(こともある)という点は、役者のファンにとってはかなり美味しい。
・見得=スチル
見得を切る、とはもはや人口に膾炙した慣用句だが、語源は歌舞伎の見得である。役者が見せ場の決め台詞などとともに、ポーズをきめて間を取ることを言う。
大抵このタイミングで観客は適宜役者の屋号を叫んだり(大向こうと言う)、役者の格好良さに浸ったり、台詞などの余韻を楽しんだりする。
もちろん見栄の楽しみ方はこの限りではないのだと思うが、なにぶん初心者なのでお許しいただきたい。
この間があることで、観客は直前の場面を咀嚼できるし、舞台の流れを一時的に止めることで生まれる効果もある。
比較的消費する文化が2次元寄りである筆者としては、これはいわゆるSLG(シミュレーションゲーム)のスチル、あるいは戦隊モノヒーロー・ヒロインの変身シーン後の決めポーズであると捉えている。
一般の舞台でもこのような間はあるかもしれないが、歌舞伎ほどわかりやすく表現の一部として取り入れられてはいない(と思う)。
つまり、推しの格好良さを劇中に味わい反芻する時間が初めから織り込まれている。Pauseボタンが実装されて実相されていない3次元世界のエンタメとしては、鑑賞者に非常に親切な設計なのである。
・ポピュラーなストーリーライン
あまり多くの演目を観たわけではないため一般性があるかは不明だが、義経千本桜に限って言えば、
「曰く付きのマジックアイテム」
「流浪の貴公子(複数)」
「姫と護衛役の武将(実は正体は〇〇)」
「宿の主人(と見せかけて宿泊者と敵対する武将)」
「宿の女将(と見せかけて実は〇〇)」
「イケメン番頭に身を窶している貴公子なんだが現奉公先の可愛い系お嬢様に惚れられて困っている件」
など、これでもかというくらい“美味しい”設定が盛られている(そしてここに挙げた設定はあくまで一部分でしかない)。
また、歴史上は亡くなっているはずの人物が生き延び敵討ちのために勝機を伺い潜伏している、あるいは人外の如き膂力で名を馳せた人物の正体が実は〇〇で舞台途中で変身する、といった設定には観客へのサービス精神がひしひしと感じられ、ストーリー的にも“美味しい”。
お話しの筋だけ追うとぎょっとしたり、それってどうなの、と思うものもあるが、現代日本の幅広いエンタメジャンルのなかで「お決まりの展開」とでも言うべき
- “ヤンキーもの”(ゼロ年代の女性向けケータイ小説等で大流行した)
- “転生”、“人生2周目”、“歴史改変if”(なろう文学等ネット小説界隈において未だポピュラーである)
- “変身”をキーワードに含む戦隊ヒーロー・ヒロインもの(ニチアサに代表されるお茶の間の大正義(個人の見解です))
などの物語展開に照らして考えると、歌舞伎のそれは、単に媒体が異なるというだけで、今もそんなに変わらず愛されているように思われる。
(参考までに、義経千本桜の物語展開(文楽版ではあるが大筋同じ)はこちらに掲載されている)
まとめ
400年続く伝統芸能と言われると身構えたくなってしまうが、歌舞伎とは実質的に江戸時代から生き残った総合エンタメである。
例えば様々な点から公演時に話題となったナウシカ歌舞伎では、アニメーションやマンガ等、読者の共通理解というOSを前提にして二次元で成立している表現を、舞台の限られた空間上で、見せ場も作りつつ概ね江戸時代頃の技術で3次元で表現してしまった(飛行するメーヴェ、映画でも有名な回想シーン、王蟲や巨神兵の感情表現、精神世界での戦いetc)。この辺りからも、歌舞伎表現の懐の深さを察することができる。
(追って別途記載するが新規技術も続々取り入れられている)
筆者は拗らせたストーリーオタク(歴史要素は好むが専門外)なので、好きなお話しが三次元で演じられるのは如何なることか、という好奇心から松竹のシネマ歌舞伎につきあたった訳だが、実際に鑑賞してみると他にも面白い部分(例えば、義経千本桜では物語の進行を追うにつれ、当時主流であったであろう儒教色の強い美徳・倫理観が垣間見えてくる)がある。
というわけで、昨今の世情からチャンスは限定されているものの、少し関心がある、という方はシネマ歌舞伎あたりから入ってみてほしい。
なお、現代に生きる役者と同じ時間・空間を共有できるのは実際の舞台鑑賞に特有の魅力であり、筆者も本記事執筆中にこれを味わいたい気分に浸っているのだが、舞台公演が再開されるのはまだ先の話となりそうなので、暫くは回想で我慢していく所存である。
(2020年5月31日改稿)